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白鳥庭園俳句大賞


題10回 白鳥庭園俳句大賞 結果発表

令和6年10月~令和7年2月末の約5か月間、白鳥庭園の写真をテーマにした写真詠と白鳥庭園をテーマにした当季雑詠をwebと庭園内の投句用紙にて募集いたしました。今回は、総勢1592句のご応募がありました!皆様ありがとうございました。
選者プロフィール
若林哲哉
1998年 静岡生まれ。金沢育ち、名古屋在住。
2019年 第二回全国大学生俳句選手権大会グランプリ。
2019年 第九回百年俳句賞最優秀賞。句集『掬ふ』(2020年マルコボ.コム)
2020年 第十二回石田波郷新人賞準賞。
2021年 金沢大学学長賞(芸術・スポーツ部門)
2023年 南風新人賞。現、「南風」同人。
2024年 第十四回北斗賞。

総評

今回も多数の御応募をいただき、ありがとうございました。第10回を迎えた今回は、過去最多の作品をお寄せいただきました。回を追うごとに佳句が増え、受賞作の決定には毎回苦心します。そのため、当初の想定よりも選考に時間を要し、結果発表が遅れてしまいましたこと、つつしんでお詫びを申し上げます。また、毎回申し上げていることではありますが、惜しくも受賞を逃した句についても、受賞作と伯仲する作品が多くありました。また、高校生の部および小中学生の部については、一般の部と比較して応募総数が少なかったことから、賞の数を絞っておりますことを申し添えます。
 応募総数が増えたことによる変化として実感したことがあります。それは、本大賞ないし種々の俳句大会等の受賞作として見かけたことのある有名句や、おそらく生成AIを用いて出力したと思われる句が多く散見されたことです。勿論、俳句はその短さゆえに偶然の一致として同じ作品が出来上がることもあります。私もこの世に存在する全ての俳句を存じ上げている訳ではありません。ですが、審査員として、作者の実感をもとに新鮮な表現で詠まれた俳句を選びたいと考えています。では、「作者の実感をもとに新鮮な表現で詠む」とはどういうことなのか。私自身も考え続けたいと思います。
次回の大賞にも、珠玉の作品が寄せられることを心待ちにしております。

白鳥庭園の写真詠テーマ写真

写真は「白鳥庭園インスタグラムフォトコンテスト」より

【写真詠題材】

受賞作品

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一般の部 (応募総数1300句)
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一読すると忘れられなくなるインパクトをもっている一句と言っても過言ではないだろう。けたたましく走って行くバイクの音。一句のほとんどをその音の表現に費やしているが、「ば」「ぶ」「ぼ」の遣い分けや、大きな「お」と小さな「ぉ」の遣い分けなど、正確に書き留めようとする意志と執着が感じられるとともに、その言語化の精度も高い。そして、バイクが去った後の静寂の夜空に皓々と浮かぶ月。上述の臨場感あふれるバイクの音の描写の後ろに「月」とのみ置かれ、古典的な秋の風物詩としてのイメージがカットインする落差に、現代のリアルと諧謔が滲んでいる。こんなに大胆な句はなかなか見かけることがないが、読み解いてみると俳句の技術が正確に実践されている。そこに惹かれた。

写真の中の二人の人物は、影でハートマークを作っている。そこに注目して、カップルやハートマークを詠んだ句や恋愛というテーマから連想を飛ばした句がほとんどだった。その中で掲句は、表現の工夫が成功している一句である。命令形を用いた二つのフレーズからなるこの句は、標語に陥る危うさをはらみつつも、極めて第三者的な視点を貫いている。恋することや、白鳥が白鳥らしさを表出して飛ぶということをどこか縁遠く見つめているような屈折が感じられるのである。同時に、「白鳥」という季語のもつ、恋愛というテーマとの親和性と飛ぶ姿の清廉な美しさが、一句に込められた想いを純粋なものとして引き立てている。

「さみしい」という言葉も、写真に写る影、その二人の人物の関係を想像しながら、人と人との繫がりというものに想いを馳せながら辿り着いたものであろうか。〈寂しいと言い私を蔦にせよ/神野紗希〉という句もあるが、掲句は「さみしい」と口に出せない側の視点の句である。きつつきは寂しさを表現する術をもたないから嘴で樹をつつくのかもしれないという把握を踏まえつつ、自分自身のこともそのきつつきに投影している。「なのか」という収め方に、ため息のような気づきがある。

秋の川のほとりに並び、水面を眺めている人々を詠んだと解釈した。その人たちの誰も死ぬつもりがないというのである。事実として人間はいずれみな死ぬわけだが、「死ぬつもりなし」という中七がなんとも力強い。運命への抗いか、生への執着か。澄み渡った「秋の川」という季語に、まさに明鏡止水といった達観を感じる一句である。

バルーンアートで作った犬だろう。例えば、道端の露店やマルシェのような催しのときによく見かける。本物の犬であるかのように「小春を跳ね上がる」と捉えた点が愉しい。風船のふわふわとして軽やかな質感や、周囲の賑わいも感じられる。明るくあたたかな冬の日のひとこまである。

「とろとろと」という表現がユニーク。冬の夕暮れの日差しは、あたたかさを感じるというよりもむしろ、まもなく夜の寒さが訪れることを予感させる、少しくすんだ茜色をしている。そう思うと「とろとろと」というオノマトペはしっくりくるのではないか。また、枯れた薄が夕日に照らされるとき、密度の低い穂の部分は他の部分よりも明るく見える。「溜めて」とは主観的な擬人化であるが、かえって枯れ薄の佇まいをありありと想起させるように思われる。

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高校生の部 (応募総数136句)
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枯園を巡る人の、爪の先に注目した。草木の枯れきってしまった庭園に添えられる赤色のささやかな彩り。また、「うすびかり」とやや光の度合いを抑制したことで、枯園の風情を損なわずにかすかな冬の日差しを感じさせることが出来ている。同作者の〈落とされて手袋はまよなかの星〉にも注目したことを申し添えておく。

あらゆる草木が枯れきった「冬ざれ」の森。ふと眼鏡を外してみると、視界がぼやけ、景色が濁っているように感じられたのだ。輪郭を排した世界を眺めることで、冬という季節がもたらす枯れ、その荒涼とした景色の寒々しさを実感するのである。

画像説明文

〈木枯に星の布石はぴしぴしと〉、〈指さして寒星一つづつ生かす〉といった上田五千石の俳句もあるが、掲句は「滲み出す」と表現したところに詩情がある。星の光の質感を詠んだとも解釈できるし、目に涙が溜まったことで滲んだとも解釈できる。いずれにしても、枯れ木という地上のものと、その上空に輝く星を結びつける「枯れ木星」という季語の情感がよく生きている。

画像説明文

冬になっても暖かい日があると、季節外れの花が咲くことがある。それが「帰り花」だ。ふと「亡き姉」の名前を呼ぶとき、残念ながら姉と会うことはかなわないけれど、気持に応えてくれたかのように開いた「帰り花」に気付くのである。大切にしたい想いを素直に詠った一句。

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小中学生の部 (応募総数156句)
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「落ちた葉」は「落葉」と必ずしも同じ意味ではないから、この句は無季俳句かもしれない。ただ、「光って見える」というフレーズが生きるのは、落葉を想像した時だろう。地面の上の落葉は光って見えないが、池の上の落葉は光って見える。その素朴な発見の奥に、日差しや水面のきらめきが感じられる。静かな冬の庭園の風景であると解釈した。

画像説明文

重松清が教科書に書き下ろした短篇に『カレーライス』というものがある。主人公の口に合うカレーが甘口から中辛になっていることを通じてその成長を表現した作品であるが、掲句は、その逆を述べた一句と言えるだろう。成長とは味覚の変化のみに表れるものではない。花と言えど、飾らない佇まいの「花薄」という季語に、甘口のカレーを今も好む自分を肯定する気持が垣間見える。

画像説明文

「と」をどう解釈するかによって読みが分かれる句である。寒空にも待ち人にも怒っているという並列の意味かもしれないし、「こんな寒空の下で待たせおって」と、まだやって来ない待ち人に心の中で文句を言っているという意味かもしれない。どちらにせよ、待ちぼうけの実感がある一句である。

画像説明文

秋の水に触れた瞬間の発見を、素直な表現で詠んだ一句。触れたからこそ、想像よりも柔らかい感触であることが分かったのである。柔らかな秋の水に手を委ねていると、心も解きほぐされ、澄み渡ってゆくような感じがする。

画像説明文

「頬」の一語からどんな人物を想像するかは読者に委ねられている。活発に遊ぶ子どもを思い浮かべてもよいし、頬を赤らめる恋人を想像してもよい。気持のよい秋の晴天の下、紅葉となりつつある木々の傍で過ごす時間。そのささやかな幸福が感じられる。